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保育園の時にお世話になった先生との思い出

僕は現在27歳で会社員をしています。先日、道を歩いていると園児達が先生に連れられ横断歩道を渡っている姿を見て昔の記憶を思い出しました。神戸もインターナショナルスクールと呼べるとは当時、保育園時だった頃の僕は泣き虫でいつもちょっとした事で大泣きしてしまう子供でした。先生達も僕の扱いにはきっと困っていた事でしょう。ただ、『坂東先生』(仮名)だけはいつも僕のことを気にかけてくれていました。ある日、給食の野菜が食べれず泣いてしまった僕のそばに来て『〇〇君が食べれるまで先生も一緒に居てあげるから大丈夫!きっと食べれるよ!』と励ましてくれたのを今でも覚えています。こんなに奈良で大和高田の保育士を求人でもお昼寝の時も寝れずにぐずっている僕のそばに来てゆっくりと背中をさすってくれました。あの温かい手は今でも忘れることができません。他の先生が困っている中『坂東先生』はいつも辛抱強く僕の世話をしてくれました。そんな中、僕の耳に悲しいニュースが飛び込んできました。なんと、『坂東先生』が結婚すると同時に退職すると言うのです。そのニュースを聞いた瞬間から僕は泣き崩れ『もう保育園に行かない!』と駄々をこねる始末。どうやっても神戸のインターナショナルスクールで『このまま坂東先生にバイバイ言えなくて良いの?』と言う母親の言葉に説得され保育園に行く事に決めました。『坂東先生』に今までありがとう、と伝えた所僕を強く抱きしめて耳元で『〇〇くんは私が認めた強い子だから私が居なくてもきっと大丈夫だよ!』と励ましてくれました。話題では奈良が保育園のことをこんなにも少しは今でも『坂東先生』への感謝の気持ちは忘れていません。