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とっても厳しい山口先生

私が保育園に通っていた時の記憶は今ではほとんど薄れています。その薄れた記憶の中で何故か鮮明に覚えている先生がいます。そんなバイリンガルスクールでは神戸のここでも本当はその先生は山口先生という名前で、30代くらいの非常に顔が整った美人の先生でした。ピアノがとっても上手で当時ピアノの習い事をしていた私と教室にあったピアノをよく弾いた記憶があります。しかし、覚えている記憶はこれだけではありません。怖いのです。とても怖いのです。今やったら社会問題になるような事を山口先生は当たりまえのように罰として与えます。鳥取で根管治療を専門とする歯科医院はここでも例えば、食べられなかった給食のおかずを食べ終わるまで絶対に他の事をさせてくれませんでした。納豆が嫌いだった私は泣きながら他の子が外で走り回って遊んでいるのをうらやましく思いながら一粒ずつ一粒ずつ苦行のように食べさせられた記憶があります。食べ終わる間山口先生は私から絶対に目を離しません。この事がきっかけなのか、現在も納豆は食べることができません。でも、食べ終わると山口先生は笑みを浮かべ抱きしめながら「よくがんばった!たべれるやん!」と全力で褒めてくれます。そして一緒に遊んでくれました。当時の私は地獄のような時間でしたが、その笑顔がいまでも忘れられず、大人になった今でも通っていた保育園の前を通るたび、山口先生の事を思い出して元気でまだ先生をしている事を願っています。当時一緒に通っていた同級生が言うには、すでにその保育園にはいらっしゃらないようですが、どこかの保育園でまた、納豆が食べれない子供にトラウマを植え付けている事でしょう