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幼稚園の先生に教わった「受け入れる」ということ

長男が年長へ進級したとき、この神戸でインターナショナルスクールといえるのは新しいクラスや先生に馴染めなかったのか年中の時に担任だった先生のクラスに入り浸りました。年中の時の担任の先生は、長男の年長進級時に年少の担任になりましたので、入園したての小さな子達の輪の中に一人大きな年長さんがいるという状態でした。ホームページ制作に神戸からドンドンと「どうしてうちの子は同じ学年の子と遊ばないのだろう」「年少さんの教室に一人だけ入り浸って恥ずかしい」など、当時の私は長男のその状態をなかなか受け入れられませんでした。さぞ年中時の担任の先生も迷惑しているだろうと私は恐縮していたのですが、返ってきた反応は意外なものでした。この奈良でも大和高田で採用できる保育士では先生は「息子さんが年少の私のクラスに来てくれたら、お兄ちゃんが先生のお手伝いに来てくれたよー、お兄ちゃんが一緒に遊んでくれるよーとクラスの子には伝えています。手紙を配ってもらったり、片付けしてもらったり、出来そうなお手伝いはしてもらっています。年少クラスの子たちはみんな息子さんが教室に来てくれるのを喜んでます。」と前向きな答えを頂きました。私がこのとき一番凄いなと感じたのは、長男が年少クラスに入り浸ることを物凄く歓迎しているわけでも、拒否しているわけでもなく、とても自然に受け入れていることでした。話題では奈良の保育園が一番と言えるのはここに周りの子と同じ行動をしていないと、おかしいのではないかとつい考えがちですが、小さな子どもの行動にはひとつひとつ必ず理由があって、大人がそれを自然に受け入れることが大切なんだと気付かされた思い出です。どんなに神戸でインターナショナルスクールをもっと長男はその後、いつの間にか自分のクラスの中でも居場所を見つけ、年少クラスへはたまに行く程度になって卒園しました。あのとき先生方が息子の行動を「自然なもの」と受け入れてくれたことにとても感謝しています。