保育園で出会った不思議な子の話

2019年11月
  • 椅子でつながった素敵な遅番の保育園の先生

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    長男と長女の年齢差は何と11歳です。長男は来年6年生で長女は保育園の0歳クラスにいます。評判で奈良の大和高田の保育園を私はフルタイムで働いていて残業も多く迎えに行くと保育園で一番最後ということが結構あります。長女の保育園では遅番の保育士の先生が決まっていて必ずその先生が長女をみてくれています。長女はその先生を独り占めにして相手をしてもらっています。長女がなかなか帰りたがらない日もあって、少しでも奈良の話題の保育園を多分先生は早く帰りたいだろうと思うのですがいつも笑顔で付き合ってくれます。その先生は多分40歳くらいです。さすがに年齢は聞けませんが私とも色々話をします。長男の話もします。ある日長男に初めて勉強机を買ってやったんだけど、タイヤの付いていない椅子を買ったら気に入らないらしくてそれを理由に全然勉強しないという話をしました。そうすると、先生のお嬢さんが使っていたタイヤの付いた椅子で使っていないのがあるからくれると言う話になったのです。週末先生の家の前まで車で取りに行くことになりました。ナビに住所を入れて向かい少し遅れましたが到着しました。角地のレンガ色の一戸建てということですぐに分かりました。庭の手入れもきれいにされていて「さすがだな」と思いました。ご主人が椅子を持って出てこられ先生は「遠かったですよね。わざわざありがとうございました」と話されました。「こちらこそ、本当にいただいちゃっていいんですか?」と聞くと「捨てるに捨てられなくて、まいさちゃんのうちで使ってもらえるならありがたいです」といつもの笑顔言われました。長女が本当に素的な先生に毎日みてもらえて、こんな縁もできるなんて幸せなことだなとつくづく思いました。

  • 先生との中学校の懐かしい思い出としまして

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    私は、中学校の頃につきましては、先生に対する思い入れとしまして、私は、一時期中学校でイジメられたことが原因で不登校になる形で、自宅に引きこもってしまったことがあるのですが、この奈良では保育園の評判が何度も私を立ち直らせようと手紙を送ってくれたり、イジメた生徒達と一緒に家庭を訪問してくれるような形で、私にとっては、非常にその時は放ってほいて欲しいと言う形であったのですが、何度も何度も訪問してくださる形で、毎日夜でも嫌と言う程きてくれた形でありましたので、私も少し会ってみようかな?と言う気になってお会いしたケースがありました。もし今振り返ってみれば、評判になっている大和高田の保育園はしつこい位にコンタクトを取ってくださる先生がいなければ私は、今よりももっとダメ人間になっていたのではないのかな?と言う形で思ったりします。やはり恩師と言う存在は、自分のことを真剣に考えて行動にうつしてくれる人間であるのかな?と思いました。しつこい位の指導のある先生や厳しい先生程後になって出会えて良かったなと思える先生になる形でありますので、またいつ開かれるか分からない同窓会の際に先生が居られたら、その時には、私のことを覚えていらっしゃるかわかりませんがお礼を申し上げたいなと思っております。

  • 四度の出会い

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    私の初恋の相手は保育園の先生でした。初恋といっていいのか分かりませんが、とにかく大好きな先生がいました。奈良の大和高田で口コミの保育園ならいつもその先生にべったりで、お昼寝の時間も先生がそばにいてくれないと寝付けない迷惑な子供だったようです。保育園を卒業した後、勿論その先生とはお別れになってしまうわけですが、幸か不幸か、小学二年生のとき、両親が共働きで不在であったため私は例外的にその先生に個人契約でお世話をしてもらうことになりました。その時は両親がずっと不在でいてくれたらいいのにと、不遜なことを考えていました。その先生とはそれ以来連絡先を交換するほど仲良くなり、なんと20歳の成人式の時には、わざわざ市役所のホールまで来てくれてお祝いをしてくれたのです。私と同じ保育園に通っていた友人が10人ほどいましたが、みんなその先生が大好き。すぐにみんなを集めて記念写真を撮りました。そのころ先生はもう20代後半でしたが、20代後半でも通じるくらい、すごく若々しかったことを覚えています。そしてその5年後、私が結婚する時にもお祝いに駆けつけてくれました。まだその先生が独身であったことをそこで初めて知り、もっと早く知ってたら結婚してたのに、と一瞬だけ思いました。それくらい、大好きな先生です。

  • 幼稚園の優しい先生

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    多くの人にとって、幼稚園の頃の事を殆ど覚えていない人が多いと思います。私自身も殆ど記憶にありませんが、1つだけ幼稚園の優しい先生のことは憶えていますので、奈良の大和高田で保育園をお話したいと思います。私が通っていた幼稚園は、園児が幼稚園でお昼ご飯を食べた後に親に迎えに来てもらい、親と一緒に家に帰っていました。あれは確か冬の日だったと思います。朝から寒気がして体が重く、幼稚園を休みたいと思ってました。ただ、その時私の両親は休むことを許してくれずに、私を無理やり幼稚園に連れて行きました。保育園が評判の奈良でも案の定、寒気は止まらず、お昼になり、園児たちは各教室でお弁当を食べ始めました。私は母親が作ってくれたお弁当を口にすることができず、先生に「早く家に帰りたい」と言って、教室の隅で横になっていました。先生は私の家に連絡してくれたのですが、母親はその時にたまたま家にいませんでした。当然、先生は私だけではなく、他の園児たちの相手もしなければならないため、気が付いたらお昼の時間が過ぎてしまいました。他の園児は親に迎えに来てもらい、それぞれ家に帰っていき、私だけが一人教室に残されてしまいました。いつ帰ることができるのだろうかと不安に感じながら待っていると、先生が「お母さんと連絡がつかないの、ゴメンね。〇〇君の家は幼稚園から遠いの?」と聞いてきました。幼稚園から家までは大人の足で10分位、園児にとっては少し遠く感じる距離です。「お母さんと連絡が取れないから、先生が家まで送ってあげる。道を教えて」と言って、小さな私の手を繋いで、幼稚園から家まで送ってくれました。帰りの途中で、私を迎えに来た母親と会い、母親は恐縮しながら、3人で家まで帰りました。先生にとっては、当たり前の事だったのかも知れません。あの優しい先生は今何をしているのかな…私にとっては昔の懐かしい記憶として、今でも心に残っています。