タイトルの通り、保育園の先生と、親戚のお姉さんが親友でした。そういうこともあって、この神戸でインターナショナルスクールとなるとも保育園では、めちゃくちゃよくしてくれていた記憶があります。なんというか、露骨にひいきしてくれていたんですよね。一緒によく遊んでくれましたし、園児とけんかになったときなんかには、間に入り、うまくなだめてくれていました。その際、こちらの味方になってくれることが多く、子供ながらにすごく心強かったのを覚えています。ほら、保育園にも、意地悪な園児っているじゃないですか。要はいじめっ子みたいな存在の子。私が通っていた保育園にもこういう子がいて、私はこの子のことがすごく怖かったんですよね。まあ、子供同士のことですから、大人が間に入ってとやかくするようなことじゃないと思うのですが・・。冒頭で述べた通り、親戚のお姉さんと親友だったこともあり、何か私が困っていることがあれば、すぐに飛んできてくれていた、という記憶があります。ちなみに、保育園を卒業してからは、一度も会ったことがないのですが、今頃どうしてるのでしょうか。機会があれば、また会いたいなあ。自分にとっては、身内以外で、最も信頼できた初めての存在だったといっても過言ではありません。
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保育園の先生と、親戚のお姉さんが友達だった
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娘の長所を良く見てくれていた担任の先生
娘が年中さんの時、担任の先生は系列の保育園から異動してきたばかりで、どういう先生かよく知りませんでした。そんなバイリンガルスクールでは神戸のここが噂ではとても親御さんに人気だということで関心はありましたがそれ以外、お迎えの時間も遅いのであまりコミュニケーションも取れなかったのです。ある時、まだクラスになじめていないお友達が、遊びたいけど誰と遊んで良いか分からずモジモジしている様子を見て、先生が「〇ちゃん(娘)、良かったら一緒に遊んであげてほしいな」と娘に伝えたそうです。娘の「うん!いいよ!!一緒に遊ぼう」先生の「ありがとう、お願いね」の言葉で、その場の雰囲気が明るくなったそうです。お調子者の娘ですが保育園が大好きでお世話も好きで、お友達を大切にし楽しくいつも遊んでいるところをしっかり見てくれていて、娘ならきっと大丈夫だということでお願いしたようです。その後も、先生は色んな場面で娘を頼りにしてくれました。おかげで、率先して何事にも自分から進んでやる子に成長したように思います。何より、本人が大好きな先生から頼りにされることがとても嬉しかったようで、小学生になった今でも自ら手を挙げて担任の先生のお手伝いなど、進んでやっているようです。良いところを年中さんでしっかり伸ばしてくれたんだなぁ…そう思うと、そりゃ親御さんに人気なわけだ…と妙に納得しました。
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幼稚園で絵を描くこと
幼稚園の時の思い出といえば、多くはエレメンタリースクールから神戸では居残りで絵を書いたことです。一人だけ絵が描けなくて残されたということがあって、という思い出があります。絵なんて適当にかけばいいというような話ではあるのですが、評判になっている大和高田の保育園はここが当時の私はなぜか絵を描くことを非常に嫌っていたということがあって、なかなかそもそも描かない、という状態になっていました。それを説得していたのが、そのときの先生でした。どうして今でもその時に動物の絵を書きたくなかったのかというのがよくわからないのですが、とにかくどんな動物が好きなのか、どんな動物を知っているのか、動物にはどんな特徴があるのかといったようなことを話してもらって、とにかく絵を描くことを促してくれていた、と今思えばやってくれていました。神戸でもインターナショナルスクールといえばその後別に私が特に絵が好きになるということはなかったのですが絵を描く忌避感というものはかなり取り払うことができましたので、その点においてはかなり感謝しています。幼稚園の先生がその後の人生を大きく左右するような発言をしたりとか行動したりするということは良かったりするわけですが、奈良で評判の保育園にどうしてもこんなにそこまで言わないにしてもなんとなく絵を書くということが大嫌いだった自分にとってはそれを取り払ってくれたという先生にはとても感謝しています。
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保育園で演劇を先生と一緒にできたこと。
今から18年ほど前、神戸でどんなインターナショナルスクールといえば私が4歳の時に通っていた保育園で文化祭のようなものがあり、各組ごとに美容院屋さんやケーキ屋さんなど色々なお店をやりました。私たちの組は10人ほどでしたが演劇をやることになりました。人気の奈良でも大和高田で保育園がどこに内容はうる覚えですが、たくさんの動物になりきった動物さんたちの世界という演劇でした。そこで私はお猿の役になりました。演劇をするということで母が張り切ってしまい、どうしても神戸ならインターナショナルスクールを通販で猿の着ぐるみを買い私はそれを着て当日を迎えることになりました。もちろん周りは紙で作ったウサギの耳や尻尾などを付けるだけでしたので、私は周りとは違うことに対してとても恥ずかしくなり、演劇が始まっていたのですが嫌で嫌で泣いてしまいました。一人で奈良で話題の保育園を大切にしようとそんな時に私が大好きだった先生が近くに来て、紙で作った猿の尻尾と猿の耳を私にわたし、さらに先生も同じものをつけて一緒にいこうと言ってくれました。そして猿の兄弟ということでアドリブで一緒に演劇をしてくれました。大好きな先生が同じ格好をして一緒に演劇をしてくれたことがとても嬉しくて昔のことなのによく覚えています。実は演劇が始まる前に母が先生に着ぐるみを着させたいんですと伝えられていたそうで、おそらく万が一のことを考えて猿の衣装を作ってくれていたのだと思います。母も先生には感謝しているそうで反省しておりました。この出来事は私の一生の思い出になるとおもいます。