保育園で出会った不思議な子の話

2021年4月
  • 幼稚園の先生との食事会

    保育園

    子供が通う幼稚園で運動会の準備係に任命され自分を含め5人の保護者で子供の幼稚園の準備を行いました。早く奈良で評判の保育園を探そうと必死にいえる5人の内、3人は私と同じ男性のパパでみんな二十代後半で子供の教育に熱心で幼稚園の運動会の準備係も自ら進んで立候補してなったそうです。準備係と言っても幼稚園の運動会なので校庭が広いわけでもなく綱引の線を引く場所や応援の旗の振り方、神戸でインターナショナルスクールと少々は玉入れの支柱の支えなど簡単な準備でしたが先生と一緒に準備していると世代も同世代だったりして以外と話が盛り上がって楽しく準備ができました。共同作業をすると意気投合すると言いますが同じ小学校の出身だったり世代的にも近い事もありとても楽しかったので運動会が終わってから別の日に保護者男性4人と女性先生3人で慰労会の意味もあり土曜の昼間に食事会を開く事になりました。食事会では一緒にみんなで子供達の為にとても良い思い出に残る運動会になったと話し合い少しお酒も入って勿論みんな妻がいるのですがまるで合コンのようななかなか楽しい時間を過ごしました。大和高田で保育士を採用するとこんなにいえるのは先生の中にも二十代後半で彼氏と別れ話が出ているという先生もいてその先生の恋愛相談にもみんなで乗ってあげるといったとても楽しい食事会になり普段なかなかできない楽しい場所になりました。

  • 保育園での子供と先生との微笑ましいやりとり

    保育園

    の話す言葉も徐々に増えていき、そんなバイリンガルスクールでは神戸のここではと自己表現が少しずつ上手になっていったころのお話です。とある日、保育園にお迎えに行くと先生方が何かニヤニヤと面白いことがあったような表情でこちらを見ていました。「何かあったのかなぁ」と考えていると、ふと一人の先生が「〇〇君、この先生の名前は?」と子供に聞きました。何があったのかわからないままやりとりを聞いていたところ、ちょっとホームページ制作を神戸からどうにかうちの子供が先生の名前を「〇〇!」と下の名前で呼び捨てで呼んだのです。さすがに親としては、先生を呼び捨てにするのは0歳児とはいえ申し訳なく、「〇〇先生でしょ!」と子供に言って聞かせたところ、先生方は「なんだか〇〇君の恋人みたいに呼んでくれて嬉しいですし、先生としても名前を呼んでもらえることは成長を感じることができるのでとても嬉しいです」と言っていただけました。痛みが少ない胃カメラ検査で評判の千葉の医院はこれまでの園の行事だとか、日ごろの保育の様子だとか、様々なところで大変な苦労をしているであろう先生方から、こんな些細なことでも子供の成長をとても喜んでくれている様子が見ることができて、親としては「この園に通うことができて本当によかったなぁ」とつくづく感じた瞬間でした。これからもいろいろとお世話をかけてしまうと思いますが、インターナショナルスクールならこの神戸からではこのような子供の成長を日々喜んでくれる先生方と一緒に日常生活を過ごすことで、子供がすくすくと成長してくれることを切に願っております。

  • 田舎での保育所の先生に救われた体験談につきまして

    保育園

    私が、田舎での保育所の先生に救われた体験談としまして、以前までは、奈良でも大和高田でも保育士の求人を求めていけるのはのびのびと地方都市であります幼稚園で子供を幼稚園教諭である先生に見て頂いておりました。しかし、状況が一変しまして、主人が会社で結果を出せずに失敗ばかりしている毎日でついに、転職してしまわなければならない状況に追いやられてしまうものでありました。私は、多くはエレメンタリースクールから神戸でも少しは懇願しまして、今の場所に留まるようにお願いしましたが、主人としましては、どうにもならない状況で僻地であります田舎の保育所に子供を預ける形となりました。田舎の保育所では、きっともっとのびのびと子供が生活できると思い期待しておりましたが、メディカルゲートは全国のクリニック情報が満載ともキツク言って言い聞かすのが当たり前のような風潮がありまして、最初はカルチャーショックを受けました。これだけ同じ日本であるのに環境が変われば状況は一変するんだなと再認識する形でありました。そこで最初子供は保育所に少しだけ行って「やっぱり行きたくない」と泣いて家から離れないものでありました。神戸ではインターナショナルスクールを巡るにはもっとそれを保育所の先生も一緒に家に来てくださいまして、なんとか子供を説得して、一緒に行ってくださる状況に感激するものでありました。やはり、一緒にやって行こうと言う姿勢を厳しい口調ですが実感することができましたので、話題では奈良が保育園のことをこんなにもなると今では小学生として嫌な顔をせずに学校に通ってくれております。

  • 娘が大怪我をしたときの先生の熱心さに感服、

    保育園

    もう既に10数年前になりますが、幼稚園時代に娘が大怪我をしたのですが、神戸でこのインターナショナルスクールといえるのは其の時の担任の先生の気の使いようと親切さに、親としてすっかり惚れ込んでしまい今でも時折、お付き合いをさせていただいております。 其の幼稚園というのは主要な駅からは遠く離れている大きな団地の中にありますが、団地の中には小さな公園から大きな運動公園もあり、直ぐ隣は小学校も有って、周りには清流や小山も聳えている実に恵まれた環境にあるのです。 我家と其の幼稚園とは歩いて5分ほどのところですが、丁度其の頃に三人姉妹の次女が年長さんとして其の幼稚園に通っていたのです。  そして、メディカルゲートおすすめするクリニックとは何時もノビノビと園の生活も楽しそうに過ごしていましたし、特に運動会や遊戯会などの各種行事も行っていて、仕上がりは素晴らしく、毎回驚かされるほどでした。 其処には園児指導の熱心な先生方の指導もあり実に頭が下がる思いでした。 そんな時期のもう直ぐ卒園という3月の初めに、わが娘が遊んでいて怪我をし左の腕を骨折するほどの重傷を負ってしまったのです。 早速、市内の総合病院で手当てを受けて入院しなしたが、其の時の新人の担任のA先生が責任を感じたのか、当初の2、3日を泊りがけで看病してくれたのです。 本来、病院は泊りがけの看病は出来ないルールがあったのですが、A先生は担当医を熱心に何とか説得し、仕事を終えた後になって病院に駆けつけ、三晩ほど続けて看病に当ったのです。 A先生は未だ22歳の新人の方でしたが、娘が大変気に入っていて、それ以来は退院してからも娘と一緒に園から帰宅した時には、私たちの一緒にお茶をするなど家族ぐるみのお付き合いになったのです。 10数年たった今でも、娘もスッカリ大人びてきましたが、相かわらぞ親しげに挨拶を交わし、時には我家に立寄って昔話などをしながら、談笑する時もあるのです。 特に娘のとっては時が経っても良い思い出として残っていく事でしょう。

  • 「寂しかったら泣いてもいいんだよ」と言ってくれた先生

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    もう既に10数年前になりますが、幼稚園時代に娘が大怪我をしたのですが、神戸でこのインターナショナルスクールといえるのは其の時の担任の先生の気の使いようと親切さに、親としてすっかり惚れ込んでしまい今でも時折、お付き合いをさせていただいております。 其の幼稚園というのは主要な駅からは遠く離れている大きな団地の中にありますが、団地の中には小さな公園から大きな運動公園もあり、直ぐ隣は小学校も有って、周りには清流や小山も聳えている実に恵まれた環境にあるのです。 我家と其の幼稚園とは歩いて5分ほどのところですが、丁度其の頃に三人姉妹の次女が年長さんとして其の幼稚園に通っていたのです。  そして、メディカルゲートおすすめするクリニックとは何時もノビノビと園の生活も楽しそうに過ごしていましたし、特に運動会や遊戯会などの各種行事も行っていて、仕上がりは素晴らしく、毎回驚かされるほどでした。 其処には園児指導の熱心な先生方の指導もあり実に頭が下がる思いでした。 そんな時期のもう直ぐ卒園という3月の初めに、わが娘が遊んでいて怪我をし左の腕を骨折するほどの重傷を負ってしまったのです。 早速、市内の総合病院で手当てを受けて入院しなしたが、其の時の新人の担任のA先生が責任を感じたのか、当初の2、3日を泊りがけで看病してくれたのです。 本来、病院は泊りがけの看病は出来ないルールがあったのですが、A先生は担当医を熱心に何とか説得し、仕事を終えた後になって病院に駆けつけ、三晩ほど続けて看病に当ったのです。 A先生は未だ22歳の新人の方でしたが、娘が大変気に入っていて、それ以来は退院してからも娘と一緒に園から帰宅した時には、私たちの一緒にお茶をするなど家族ぐるみのお付き合いになったのです。 10数年たった今でも、娘もスッカリ大人びてきましたが、相かわらぞ親しげに挨拶を交わし、時には我家に立寄って昔話などをしながら、談笑する時もあるのです。 特に娘のとっては時が経っても良い思い出として残っていく事でしょう。