私は幼稚園から小学生までは極度の人見知りで、特に幼稚園時代は言葉を発した記憶があまりないほどに無言で過ごしていました。そこの奈良で大和高田の保育士を求人で探しても幼稚園ではそのように過ごしていましたが、自宅ではとにかくおしゃべりな子どもでした。そんな本当の自分を出せずに、友達もいなくて常に教室の端っこにいた私を見捨てずにずっと寄り添ってくれた先生がいました。「あっちでお友達と一緒に遊ぼう?」と声をかけてくれた先生に対して、ありがたいなと思うと同時に緊張してしまい、首を横に振る毎日でした。実は先生は私が本当は物凄くおしゃべりな子どもだと知っていたようで、まずは先生との距離を縮めてくださいました。さあ話題では奈良が保育園のことを考えるとどうしてか教室の隅で先生と2人で過ごす日々がしばらく続き、徐々に心を開けるようになった私は少しずつですが友達とも遊べるようになりました。そんな私を受け入れてくれた友達は今でも仲が良く、よく遊びます。当時の私はこんなに仲良くなれる友達ができるとは思っていなかったので、とても嬉しかったのを覚えています。それも全て先生が段階を踏んで、場に馴染めるようにお手伝いをしてくれたおかげだと思っています。その後、保育士を目指した私は話を聞かせていただくためにその先生を尋ねました。社交的になった私を見て、泣いて喜んでくださり本当に嬉しかったです。
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人見知りだった私に寄り添ってくれた幼稚園の先生
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今でも尊敬するベテラン先生
もう40年以上前の話になりますが、幼稚園入園当時、私はいわゆる「登園拒否児」でした。ここで奈良なら大和高田の保育園の中でもきっとは2歳半から英会話スクールに通っていたのですが、そこでいじめてくる1歳年上の男の子と同じ幼稚園で英会話スクールだけでなく、幼稚園でもいじめられるようになったり、喘息もちで、幼稚園を休むことが多くお友達ができなかったこと、母親同士のつながりでできた友達にまで意地悪をされたこと、そのことを担任先生に訴えても、話も聞いてもらえないどころか「嘘つき」扱いされて、父や母から「嘘はダメ」と、ひどく叱られたこと等々、今思い返すと原因は色々あったんだとわかりますが3歳当時の私には「幼稚園は嫌なところ」という認識しかなく、朝のお迎えのバスに乗るのが嫌で逃げまわったり隠れたり、家でも気持ち悪いと言ってトイレで吐いたりして、どうにか幼稚園に行かないようにしていました。そこの奈良では保育園の評判が良いのではといってもそんなある日、自分のクラスに「ベテラン先生」がやってきました。お名前は今でも忘れていませんが、ここでは「ベテラン先生」とさせていただきます。ベテラン先生は、どんな小さなことでもきちん話を聞いて受け答えをしてくれて、いい時にはたくさんほめてくれて、悪い時にはわかりやすいように理由もきちんとつけて叱ってくれる先生でした。ある日、粘土制作の時間で作った作品をとてもほめてもらえたことがあり、以降、それしか作らなくなってしまって、とても困らせてしまったこともありましたが、ベテラン先生と話をすること、ベテラン先生に褒めてもらうことが楽しみで、以降、幼稚園にもちゃんと行けるようになり、無事に卒園できました。その後、中学生になったある日、帰り道のとあるバス停でベテラン先生とバッタリお会いすることがあり、その時でも10年以上経っていたのに「○○先生!」とお声がけさせていただいたあと「あら、〇ちゃんじゃない!元気だった?!」と間髪入れずに私を当時のあだ名で呼んでいただいたことは、今でもとても印象に残っています。また、その時に話してくださった当時の裏話で、私が幼稚園の先生方の間でとんでもなく有名になっていたことを聞いて、どうりで、幼稚園に遊びに行くと習ったこともない先生が「あぁ、あの時の〇ちゃん!」と私を呼ぶはずだと納得したこともありました。ベテラン先生のどんな人に対しても先入観を持たず、まずは話をきちんと聞く姿勢は、今でも私の行動の指針の一つです。