朝9時、通用門をくぐった瞬間に鼻をくすぐったのは、驚くほど濃厚な「鰹出汁」の香りでした。 まだお昼には早い時間ですが、調理室の方を覗くと、大きな寸胴鍋から湯気が立ち上っています。「ここでは毎朝、昆布と鰹節で丁寧に出汁を取ることから一日が始まるんです」。案内してくれた先生は、当たり前のことのようにそう言いました。多くの保護者の方が、 奈良で認定こども園を探すなら、まずは立派な園舎や英語教育などのカリキュラム、あるいは延長保育の時間といった「スペック」を比較検討することでしょう。しかし、今日私がここで目撃したのは、そんな数字や文字情報には決して表れない、もっと原始的で、温かな「生活の営み」そのものでした。今回は、ある一日の園の風景を、カメラのレンズを通すように切り取ってみたいと思います。

10:30 園庭は「実験室」だった

午前中の園庭は、大人の常識が通用しないカオス、いえ、クリエイティブな実験室と化していました。 砂場のふちでは、3歳児くらいの男の子が、ひたすらバケツに泥水を汲んでは流し、汲んでは流しを繰り返しています。大人の目には「ただ汚しているだけ」に見えるその行為を、近くにいる先生は決して止めません。手出しも口出しもせず、ただ安全な距離を保って、じっと見守っています。 「水がどう流れるか、土がどう変化するか。彼は今、物理学の実験中なんですよ」 先生が小声で教えてくれました。しばらくして、泥水が綺麗な水路を作った瞬間、男の子は「できた!」と叫び、先生と顔を見合わせてニカッと笑いました。 ここでは「遊ばされている」子は一人もいません。泥団子作りに命を懸ける子、虫捕り網を持って茂みに潜む子、三輪車で暴走する子。全員が自分の意志で「今、何をするか」を決めています。用意されたプログラムをこなすのではなく、環境そのものを遊び尽くす。そのエネルギーの総量が、この園の活気を生み出しているのだと痛感しました。

12:00 「命」をいただく食卓

正午。朝から漂っていたあの出汁の香りが、いよいよ正体を現す時間です。 配膳された給食を見て驚きました。プラスチックの無機質な皿ではなく、手に馴染む陶器の食器。そして、その中には色とりどりの野菜と、黄金色に輝く汁物が。 「今日の小松菜は、近所の農家さんが朝採れを持ってきてくれたものだよ」 先生がそう伝えると、野菜嫌いだという女の子が、恐る恐る、でも興味津々といった様子で箸を伸ばしました。 「おいしい!」 その一言が合図になったかのように、あちこちで「おかわり!」の声が響きます。ここでは「完食指導」といった厳しいルールはありません。その代わり、「これは誰が作ったのか」「どんな味がするのか」という対話が豊富にあります。食べることは、作業ではなく喜びである。そんな当たり前の感覚が、湯気と共に教室を満たしていました。

14:00 静寂と安心のコントラスト

午睡の時間。さっきまでの喧騒が嘘のように、園内は静寂に包まれます。 カーテン越しに差し込む柔らかな光の中で、子どもたちが規則正しい寝息を立てています。その間を縫うように、先生たちが静かに動き回っています。SIDS(乳幼児突然死症候群)対策の呼吸チェックです。タブレット端末で時間を記録しながら、同時に一人ひとりの顔色を目視し、布団のかかり具合を直し、時には寝言に優しく背中をトントンと叩く。 その眼差しは、真剣そのものです。遊びの時間はあんなに大胆に見守っていた先生たちが、命を守るこの時間だけは、プロフェッショナルな緊張感を纏っています。 「安心して眠れる場所」があるからこそ、起きた後にまた全力で遊べる。この静と動のメリハリこそが、子どもたちの情緒を安定させている秘密なのかもしれません。

16:30 「また明日」の魔法

夕方、お迎えの時間がやってきました。 「ママー!」と玄関に走っていく子どもたち。仕事帰りで少し疲れた顔をしたお父さんやお母さんが、我が子の笑顔を見た瞬間に、ふっと表情を緩ませる瞬間。私はこの光景を見るのが一番好きです。 担任の先生が、今日あった出来事を伝えています。 「〇〇ちゃん、今日初めて逆上がりができたんですよ!」 「お給食のニンジン、全部食べたんですよ!」 その報告は、単なる業務連絡ではありません。「あなたの宝物を、今日も一日大切にお預かりしましたよ」という、親へのエールのように聞こえました。

取材を終えて門を出る時、朝とは違う匂いがしました。それは夕暮れの匂いと、子どもたちの熱気、そして充実した一日が終わる安堵の匂いでした。 パンフレットには「広い園庭」「美味しい給食」としか書かれないかもしれません。しかし、その行間には、これほどまでに濃厚で、愛おしいドラマが詰まっています。 もし、園選びに迷っている方がいたら、ぜひ一度、見学に行ってみてください。そして、説明を聞くだけでなく、その場の「空気」を吸ってみてください。 子どもたちが放つ輝きと、先生たちの温かな眼差し。それが混ざり合ったこの園の空気こそが、何よりの品質証明書なのだと、私は思いました。